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『マリンダイビング』創刊記念YEAR特集第2弾
マンタと『マリンダイビング』の50年

『マリンダイビング』創刊記念YEAR特集第2弾 マンタと『マリンダイビング』の50年

1969年に日本で初めて発行されたスクーバダイビング専門誌『マリンダイビング』。
2018年は創刊50年記念YEARとして、50年間のさまざまな歩みをフィーチャーしていきたい。
今回は、人気投票をすると必ずトップに挙がる憧れのマンタ、
そして、マンタスポットの歴史をひもといてみた。

■構成・文/後藤ゆかり(マリンダイビング副編集長)

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マンタ初出は1971年の通巻11号

イトマキエイの名前で出ていた

創刊時から1970年代、ダイバーたちの目的はスピアフィッシング、そして沈船を潜る冒険ダイビングだった。
本誌も創刊号から1970年代前半の、当時はカラーページもほとんどない号を見ても、「撮ったど~!」的なものや沈船が多く、ヒレグロカマス(仮称。今のブラックフィンバラクーダ)の大群やチョウチョウウオが出てくるのが稀にあるぐらい。時代の違いをひたすら感じる。
そんな中、マンタらしき姿が出てきたのは、日本を代表する水中写真家として当時、引っ張りだこだった舘石昭が1970年7月10~20日、東京・銀座のフジフォトサロンで開催した水中写真展のひとコマ。『マリンダイビング』11号(1970年10月発売)で、その写真展に来てくださった方々に“お気に入りの一枚”を選んで語っていただくというレポートを掲載。東京大学農学部水産学科勤務の方が「イトマキエイとダイバー」を選出してくれたのだ。
「小さな人間と雄大なエイとがダイナミック(動的)にまとめられている」からと、選出の理由を語っている。

撮影地は写真展でも掲載されなかったようだが、おそらく沖縄の八重山。マンタの和名はオニイトマキエイなのだが、その和名すら載っていない時代だった。
『マリンダイビング』通巻11号(1971年)より

マンタという名前が初めて出たのは1974年2月号

イトマキエイという名前で出てから約1年半後の1974年の2月号(通巻24号)。
当時人気シリーズだった連載「動物シリーズ24 MARINE ANIMAL GALLERY」で「マンタ」が登場する。
おそらく、これが『マリンダイビング』に初めて“マンタ”の文字が躍った号だ。

当時のカメラで巨大なマンタのどアップを撮るのは困難だったと思うが、1974年に引いて全体像を紹介しているのではなく、こちらは40mmレンズで正面から口を開けているマンタを掲載し、頭鰭(とうき)、口の中の様子、コバンザメ、鼻の穴、そして片側だけだが目も見えて、マンタの生態的な特徴をとらえた写真となっている。

ただ、特筆すべきことは、このとき和名はまだイトマキエイ類ということしか掲載されておらず、英名は現在のMantarayではなく、Devil rayということ。悪魔のエイ!?
なんてこった。でも、世界的にはそう呼ばれていたのである。

『マリンダイビング』1974年2月号より。その大きさを表現しようと、見開きカラー写真でドーンと紹介されたマンタ。撮影は舘石昭だ

GBRのヘロン島からもマンタ報告

1970年代、理想的なダイビング天国として紹介されていたのがグレートバリアリーフのヘロン島だ。基本的にはサンゴや魚、島にやってくる動物たちを徹底的に保護している島で(1990年頃訪れた時に周囲のハウスリーフを体験するエクスカーションの際に、“リーフウォーク”と題してサンゴを踏みつけながら出かけていたことに、違和感を覚えたものだが)、今も豊かな自然が残されている島として有名なリゾートアイランドだ。
『マリンダイビング』1976年6月号(通巻40号)では、そんなヘロン島の特集を組んでおり、それとともにダイブクルーズで島回りを潜ったというレポートも掲載。そこにマンタの姿が!
ここでもイトマキエイとして紹介されている。
海外のマンタとしては初めての登場なのであった。

海外では初めての登場となった、イトマキエイ(当時の呼称)ことマンタ。オーストラリア、グレートバリアリーフのヘロン島周辺

悪魔のエイと呼ばれ、
恐れられていたマンタ

マンガ「ブラックデビルの伝説」

さて、話は前後するが、1974年2月号に紹介されたときは、英名の意味に触れられることはなかったのだが、1978年4月号(通巻62号)に衝撃の特集が!
連載“死神を見た男たち!”を描いていた漫画家のかたおか徹治さんによる漫画なのだが、この連載、その名のとおり“死神を見た男たち”のドキュメントを漫画化しているもので、この回は現在の《OKマリンプロ》(東京都練馬区)の創業者の体験を元にしたものとある。

昔、1尾のクジラほどの巨大なマンタが現れては漁に出た島民を襲ったという伝説があるという、太平洋のほど中の島が舞台となっている。
サメを捕るために潜りに行ったダイバーの一人が、マンタの頭鰭に取り押さえられてしまい、それを助けるためにマンタと死闘したというストーリー。

まさに悪魔ではないか。マンタが恐れられていたのも納得な出来事である。

シリーズ“死神を見た男たち”(かたおか徹治さん作)の第4話「ブラックデビルの伝説」

マンタの頭鰭に押さえられてしまった仲間のダイバーを、当時は持って入るのが普通だったスピアガンで退治するも、命中したはずのモリを振り払うマンタ……

やっぱり神だったマンタ

物語は続く。
ブラックデビルことマンタに襲われ、一時はどうなることかと思った一行だったが、なんとか助かった。
再びサメを捕るために海に潜ると、持ち込んだ餌の血に興奮したサメがウヨウヨ。
カメラマン(弊社にいたカメラマンにそっくりな描写に驚かされるのだが)がフラッシュバルブ(当時のストロボ代わりのもの)をたいても、サメは避けるどころか迫ってくる。
大型のサメに囲まれてしまったダイバーがアタックされ始めたそのとき、辺り一面が暗くなる……。サメがドタバタと去っていく。
一行はいきなり嵐がやってきたのかと思い、浮上してみると海上はドピーカン。
そこに超巨大なマンタが姿を現し、水面からジャンプした……というもの。

つまりその超巨大なマンタがダイバー一行を助けてくれたというのだ。

前述したように、これはドキュメンタリーだ。
話半分だとしても、やっぱりマンタは悪魔ではなく、神様だったのかと思わずにはいられない。

サメに襲われそうになった一行が水面に上がると、目の前に超巨大なマンタがジャンプ! マンタが救ってくれた!? というお話
(かたおか徹也さん作)

八重山の「ヨナラ水道」の
マンタが大人気に!

「ヨナラ水道」を潜るために
長期滞在ダイバーが多数

『マリンダイビング』1978年7月号(通巻65号)では「燃える沖縄」ということで八重山諸島大特集を組んでいる。
巻頭扉ページは大きなイセエビを持ったダイバーの姿なのだが、その次のページを開くと……マンタ!
本誌の取材班の写真ではなく、その年マリンダイビング水中フォトコンテストでグランプリを獲った藤田文代さんと、同フォトコンテストでその前年にグランプリを獲った谷島幸一さんの2人がマンタの写真を提供してくださっている!
特集中「ヨナラ水道に出現するというマンタは、もうすっかりダイバーのあこがれの的になってしまった」というくだりがある。
“ヨナラ水道のマンタ”を見るために長期間八重山に滞在するダイバーも増えているとある。
だが、まだ小浜島にはダイビングサービスがなく、石垣島からボートをチャーターして潜りに行く時代だったようだ。

『マリンダイビング』で”「ヨナラ水道」のマンタ”としては初登場となったのは1978年7月号だった

まだ悪魔だった1981年

マンタは人気ではあったが、英名の呼び名はまだ変わらずDevil ray。
本誌が初めて「ヨナラ水道」に取材に入った際の特集も「ヨナラ水道に悪魔の魚を追う」というタイトルだった。
ちなみにその頃の本誌特集のタイトルはセンセーショナルのものを意識的に付けていた頃で、昔、「『MD』は週刊誌みたいだよね」と言われたこともあったっけ。
それはともかくその取材の際に、小浜島の民宿にお世話になっている(その後、その民宿がダイビングサービスを始める)。
さらに、翌年1982年5月号(通巻111号)では、また別のダイビングサービスが小浜島に登場。
「ヨナラ水道」人気で、小浜島に、そして石垣島にもダイビングサービスが増え始めた時代だった。

1981年6月号の『マリンダイビング』100号で本誌初取材

国内外でマンタスポットが開拓される

西表島の鹿川湾にもマンタスポットが!

西表島の鹿川湾にもマンタスポットが!

1982年5月号は111号記念特集と題して沖縄のいろいろな島を掲載しているのだが、西表島のところにもマンタが登場!
そう、今でも人気の「鹿川湾」にマンタが出るという情報が掲載されているのだ。
情報を提供していただいているのが、現在の《ダイビングチームうなりざき》の前身でもある《うなり崎荘》だ。

ヨナラのマンタ乱獲事件勃発

いつの世も何か人気のものが現れるとそれで一儲けしようと企む人たちがいるようで、ヨナラ水道のマンタ人気に気づいた人たちが、竹富島周辺にイケスを設置し、捕獲したマンタを見世物にしようと動き始めていた。
1985年のことである。最初は小さなニュースだったのだが、大反対運動へ発展する。
1985年7月号(通巻149号)では、小浜島でダイビングサービスを開始していた《ダイビングサービス異島》の伊藤隆さんが「マンタ捕獲の現状を知ってほしい!」と編集部に長文のお手紙を送ってきたものを掲載。これを読者の皆さまにも知ってほしいと掲載に至っている。
ダイバーのほとんどの方は、観光事業としてのイケスマンタには大反対だったのだが、既に資本を投資し、大金を払ってイケスを設置してしまった業者側も負けてはいなかった。
その次の号の8月号、9月号でもレポートをしており、両者の意見を展開していたのだが……
観光客が入る前の1985年8月の大型台風1号によりイケスが破壊。すべてが立ち消え、主催者には多額の借金だけが残ったのだという。

この時期はまだ石垣島の川平のマンタスポットは開拓されていなかったのだが、川平が開発された後、同様の問題が起こり、こちらも台風で立ち消えになっている。

なお、伊藤さんはその後、『MANTA LOG 62』をダイビングツアーセンターより発行。
伊藤さんがマンタのお腹の斑紋から同定した62個体を紹介して、”マンタの伊藤さん”として有名に。

「沖縄・ヨナラ水道のマンタを救え!」と題された特集(1985年7月号)

ケラマ諸島にもマンタスポット登場

マンタ騒動にともない、ダイバーにとってマンタは特別な生き物になっていくことに気づかされたダイビング関係者は、自分のところの海に現れるマンタを何とかダイバーに見せられないか、マンタスポットを開拓できないものか、を考えるようになる。

まず声が上がったのが、既にダイバーの間では愛されていた慶良間諸島。
「イジャカジャ」というスポットに春先から秋にかけて、マンタがよく見られるとの報告が1988年4月号(通巻182号)に掲載される。
同じ頃、編集部の夏の研修で座間味島に行った際、やはりマンタスポットがあるからと、カメラマンと編集者が社員から離れて取材に行っていたことを思い出す……。

現在も「イジャカジャ」はマンタスポットとして夏、話題になっている。

石垣島川平にもマンタスポット登場

小浜島からだけでなく、石垣市内のダイビングサービスからもアクセスしていた「ヨナラ水道」だが、1980年代後半から川平エリアのダイビングサービスの人たちが、自分たちの海域でもマンタがよく見られることから、マンタスポットの特定に繰り出す。
川平で当時《サントロペ》というお店の代表をしていた園田真さんが、1989年5月号(通巻195号)で、「9月から10月ぐらいまでなら、特に、マンタがバンバン出るのに会えるはず」。「マンタが邪魔で、ボートが走らせられない」と語っている。このときはまだ「秘蔵スポット」とのことだったが、その後、《ダイビングスクール海講座》を設立した園田さんと、川平のダイビングサービスの方々が集まってできた“川平五人衆”(後に川平六人衆に)が「川平石崎マンタスクランブル」を開拓。
ちょうどオニヒトデの大発生やマンタの乱獲などで「ヨナラ水道」のマンタ遭遇率が落ちていた時期とも重なり、1990年代、「川平石崎マンタスクランブル」が一躍、人気となったのだった。

ハワイのナイトマンタ

本誌1989年7月号(通巻197号)ではハワイの「コナアグレッサー」を特集。
ここではサラリと紹介しているが、既にハワイでは“ナイトマンタ”を「マンタヴィレッジ」で開催し始めていた。
既に休刊しているが、姉妹誌であった『海と島の旅』で1988年からナイトマンタの紹介をし、話題となっている。

モルディブにマンタトレイン!

ダイバーの憧れの楽園モルディブを『海と島の旅』が、そして『マリンダイビング』が日本で初めて紹介したのが1978年。
その後、さまざまな取材をするにつれ、マンタスポットがあることが判明。
一番に有名になったのはマーレ国際空港(フルレ島)に近い北マーレ環礁の「ランカンリーフ」(マンタポイント)。
その当時のランカン、クラブメッド、バンドスなどのリゾートから近く、訪れる日本人ダイバーも非常に多かった。現在でもリゾート発で潜られているほか、ダイブサファリ船で利用するところも多く、シーズンである雨季には「チェックダイブでマンタ10枚!」なんてラッキーなスタートに恵まれているダイバーも少なくない。
そんなモルディブの「ランカンリーフ」近くで、『海と島の旅』取材班がマンタ20枚以上の“マンタトレイン”に遭遇! 『海島』を差し置いて『マリンダイビング』1989年2月号(通巻192号)でドーンと掲載したところ、大反響。

さらに、時を重ねるにつれ、マンタスポットが北マーレ環礁だけでなく、南マーレ環礁、アリ環礁、バア環礁、ラヴィヤニ環礁などで見つかり、マンタトレイン的な情報もキャッチ。
2007年にはバア環礁の「ハニファルベイ」でマンタが大爆発! 100枚を超えるマンタが連日見られ、“ぐるぐるマンタ” “マンタサイクロン” “マンタトレイン”などと呼ばれ、世界的な注目を浴びた。
その後、「ハニファルベイ」はユネスコの「生物圏保護海域」に登録され、スクーバでは潜れなくなり、海に入るのも登録制となっている。

1988年、「ランカンリーフ」近くでマンタ大群と大遭遇!

バア環礁「ハニファルベイ」で2007年頃から“ぐるぐるマンタ”が話題になっている

パラオでもマンタスポット!?

1980年代後半からパラオに「ブルーコーナー」という超ビッグスポットが登場し、日本人向けのダイビングサービスも増え、日本人ダイバーが増えていた。
当時はまだマンタスポットは開拓されていなかったのだが、『マリンダイビング』1989年12月号(通巻238号)で、「ジャーマンドロップ」を「新たなマンタスポットの誕生か?」と書かれている。
そして既に1993年6月号(通巻244号)には既に「ジャーマンドロップ」がマンタスポットとして紹介されている。現在の「ジャーマンチャネル」と呼ばれるマンタスポットはもう少し水深の浅いところなのだが、この頃にパラオにもマンタスポットが登場したことは間違いなさそうだ。
ちなみに、北の「ユーカクチャネル」がマンタスポットとして認識されたのも1993年頃だ。

ポンペイのマンタが話題に

当時はポナペと呼んでいたが、現在のポンペイのマンタスポットが『マリンダイビング』に登場したのは1989年12月号(通巻202号)のこと。
世の中はバブル絶頂期で、映画『彼女が水着に着がえたら』が大人気となり、週末ごとに海外旅行に出かけるダイバーもいるぐらい、ダイビング界も好景気だった時代である。
そんな中、ポンペイの「マント」と呼ばれるチャネルがマンタの通る水路になっていて、中にはクリーニングステーションもあり、遭遇率も非常に高いと話題に。
1993年1月号(通巻239号)では「'93年はマンタでスタート!」と題し、MD創刊25周年記念特別企画第1弾として、「マンタに会えなかったらツアー料金全額返金!」という驚異のポナペ・マンタウオッチングツアーも登場している。
バブルが弾け、一時はダイビングサービスがポンペイからなくなってしまい、ダイバーの足も途絶えたが、最近また新たなダイビングサービスが登場し、日本人ダイバーも少しずつ戻っているという。もちろん、マンタは健在だ。

1993年はマンタでスタート!ということで、世の中はバブルが弾けたけれど、ダイビング業界はまだまだ元気だった時代

衝撃のマンタライド

1991年12月号(通巻226号)に登場したのはバハ・カリフォルニアはラパスの特集。
巻頭の写真にびっくり! マ、マンタにダイバーが乗っている!?
スポット名はその時は明かされていなかったが、「ラ・レイーナ」という岩の島のスポット。
1本目は外れたけれど、2本目はふんわりとマンタの上に乗れちゃったのだ。しかも、参加したダイバー全員が。

その時の様子を感動もあり、たいそううしろめたくもあり、とレポートしているが、そんなことができちゃうおおらかな時代だったのだ。
「ラ・レイーナ」にやってくるマンタそのものもビッグだが、何よりもコバンザメ(普通のコバンザメではなく、スギの仲間のほうだと思われる)もデカイ。この背中にいるコバンザメをつかんでマンタに乗っている写真なのだが……。

しばらくはマンタライドのできる海としても話題だったが、このマンタライドが問題だったのか、漁師がマンタを捕ってしまったからか(食べる習慣がある)
ここ20年くらいは「ラ・レイーナ」にマンタが出現する率はかなり下がってしまっている。

現在はラパスでも魚や生き物に触ったり捕ったりすることは厳禁となっているので、今度「ラ・レイーナ」にマンタが頻繁に現れるようになったとしても、マンタライドはしちゃダメですよ。

特集の巻頭写真を飾ったのがこの写真

コスタリカ、ソコロにもマンタが!

1992年10月号(通巻236号)で華麗に日本デビューをしたコスタリカの秘島ココアイランドだが、その後の取材で巨大マンタの遭遇率が高いことが明らかに。
さらに1996年にはメキシコのガラパゴスと呼ばれるソコロを本誌初公開。
巨大なブラックマンタや通常のマンタに出会い、迫力たっぷりな写真を舘石昭が撮影している。

ほかにもヤップ、オーストラリアのエクスマウス(ジンベエザメで有名になったのだが)、同じくオーストラリア領のクリスマス島やココス島、タヒチのランギロアやマニヒ、ボラボラ、ニューカレドニアの「パス・ドゥ・ブーラリ・アウト」シミラン諸島の北のコ・ボン、コ・タチャイなどなど1990年代は世界のさまざまな海でマンタスポットが開拓され、注目を集めたのであった。

日本でもマンタ目撃例が増える

石垣島の「川平石崎マンタスクランブル」は世界的にも遭遇率が高く、ダイバーやフォト派が近づけるマンタスポットとしても大人気だが、2000年代に入ってその近くの「マンタシティポイント」が開拓され、今では「スクランブル」をしのぐほどの遭遇率になっていたり、「ヨナラ水道」が復活して遭遇率が上がったり、『マリンダイビング』2017年4月号でも初公開したように、石垣島の真南、石西礁湖の最南端に浮かぶパナリ(新城島)にマンタスポットが見つかるなど、まだまだマンタスポットは変動があって、目が離せない状況。

また、クリーニングステーションはないけれど、久米島や宮古島などでは冬から春にかけてマンタが現れる海域も見つかっているし、トカラ列島にもマンタスポットが見つかっている。

人にもよるけれど、多くのダイバーを幸せな気分にさせてくれるマンタ。
今では、和名がオニイトマキエイになったばかりか、沿岸性のちょっとこぶりなマンタはナンヨウマンタという和名も付いて、私たちがマンタと呼ぶにしても2種いるといわれるようになったが、つぶらな瞳に見つめられるともうFALL IN LOVEなマンタ。
これからもダイバーたちを幸せにしてほしい。

『マリンダイビング』2017年4月号(通巻621号)では、石垣島のダイバーたちが石西礁湖のほぼ最南端にあるパナリに新たなマンタスポットを発見!と報告してくれた

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