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『マリンダイビング』創刊記念YEAR特集第8弾
『マリンダイビング』50年と水中写真の50年

『マリンダイビング』50年と水中写真の50年

1969年に日本で初めて発行されたスクーバダイビング専門誌『マリンダイビング』。
2018年は創刊50年目の記念YEARとして、『マリンダイビング』とともに歩んだダイビングにまつわるモノ、エリア、生き物などとの50年間をフィーチャーしてきた。
最終回となる第8弾は、今や9割以上のダイバーが水中カメラを手にして潜るようになった水中写真の50年を振り返ってみた。
■構成・文/後藤ゆかり(マリンダイビング編集長)

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創刊前/水中写真の夜明け

日本初の水中カメラが登場

1969年に本誌をスタートさせた舘石昭は、当時、水中写真家として日本でその名を広めつつあった。
1930年生まれの舘石は、油絵を追求しようと千葉大学工学部意匠学科に入学。その際、油絵のモチーフを海の中に求め、水中写真を始める。戦後間もない、1950年頃のことである。
余談になるが、スクーバダイビングのタンクもほとんど普及しておらず、消火器を改造して潜っており、カメラは手作りでハウジングをつくり、水中に持ち込んでいた。今から考えると途方もなく何もない状態だったわけだ。
だが、そんな大変な中でも海の中の色彩の豊かさや別世界のおもしろさに目覚めた舘石は、次第に油絵ではなく、水中撮影がおもしろくなり、大学も中退。水中写真家として活動をするようになる。
1957年には羽仁進監督が日本で初めて製作した水中ドキュメント映画『海は生きている』の水中撮影を担当。さらに同年には日本初の水中写真展を開催している。
実はその前年の1956年にジャック・イヴ・クストーの著作を映画化した『沈黙の世界』を発表。世界中で話題となっていた。
海の中にこんなに素晴らしい世界が広がっていたとは! 世界で、日本で、多くの方々が驚きと感動をもって注目したのは想像に難くない。

それと並行して1956年、株式会社ニコン(当時の日本光学)が金属製水密ケース、つまり水中カメラハウジングを発売している。
海外でも手軽に水中で撮影ができないものかと試行錯誤が繰り返されており、1961年にフランスのラ・スピロテクニーク社が初の水中カメラ「カリプソ」を発売した。
クストーが1951年、世界の海を航海するために私財を投げうって購入した船の名前、「カリプソ」号から冠した名前だ。

世界初の水中カメラ、Calypso(フランスのLa Spirotechnique社製)

ダイバーズウオッチにも共通するが、機械製品が水中、海中で使用できるようになることこそ、高度な技術が搭載された、優れた機器であることの証。
日本を代表するカメラ会社、(株)ニコンが「カリプソ」の登場を指をくわえて見ているはずはなかった。1963年には(株)ニコンはラ・スピロテクニーク社と技術提携に成功し、日本初のカメラ「ニコノス」を発売する。後にシリーズ化したため、「ニコノスⅠ型」に改名している。
ニコノスⅠ型の発売と同時に、水陸両用レンズ「Wニッコール35mmF2.5」を発売し、水中撮影ができる環境が整い始めた。

日本初の水中カメラ、ニコノスⅠ型。水深50m防水。 水陸両用レンズ「Wニッコール35mmF2.5」を同時発売した

創刊時~1970年代
ニコノス全盛時代

ニコノスⅡ型からどんどん進化

本誌が創刊される前年の1968年、(株)ニコンから「ニコノスⅡ型」が発売された。
実は1965年12月に封切された映画『007サンダーボール作戦』の中で、ジェームズ・ボンドの秘密兵器として、ニコノスⅠ型が登場。世界中で大ブームを巻き起こし、あっという間に在庫完売となったのだ。
そこで1968年、「ニコノスⅡ型」として登場したのだという。
Ⅰ型からⅡ型への主な改良点は、フィルム巻き戻しをステンレス製のダイアルからプラスチック製のクランクタイプに変更したこと、シャッターダイヤルにR指標を付加したこと、そして前面にⅡ型のロゴを付けたことで、外観や機能はほぼⅠ型と変わらなかった。

だが、1969年にはニコノス用水陸両用レンズ「ニッコール80mmF4」が発売された。さらに、1972年には水中ワイドレンズ「UWニッコール15mmF2.8」が発売され、ワイド撮影もしやすくなった。

カリプソの伝統が残る最後のニコノスⅢ

1975年、(株)ニコンから登場した「ニコノスⅢ」は、採光式のビューファインダー、現代的になったシャッターダイヤルなど、それまでのものとは異なり、近代の技術が集結された名品として、多くのフォト派ダイバーのみならずに愛用されるものとなった。
ただし、まだカリプソの設計が残る最後のニコノスともいえる。

ニコノスⅢは、それまでのニコノスⅠ、Ⅱに比べるとフィルムを巻き取るのにスプロケットを採用しており(それまでなかったの!?というモノだったようだが)、その分、ボディが大きくなったといわれるが、今見てもかなりコンパクト。女性でも扱いやすい大きさだった。

ニコノスⅢに1983年発売のUWニッコール28mmF3.5を装着したもの

水中ハウジング 
タテイシブロニカマリンの登場

一方で、画家志望だった舘石はビジュアル面でも試行錯誤しており、35mmフィルムから印刷物に拡大することの大変さから、独自に撮影機材を開発。水中撮影用に6×6cm判フィルム用のゼンザブロニカを用いて、6人から成る「水中デザインセンター」の協力を得て手製のハウジング「タテイシブロニカマリン」を設計、1967年より使用していた(1971年に改良版「タテイシブロニカマリンⅡ」、1974年には「タテイシブロニカマリンⅢ」が登場する)。
水中ストロボには(株)ニコンがニコノス用に発売していたフラッシュガンを使用。当時は今のストロボはなく、1回発光するごとに交換するフラッシュバルブ(閃光電球)だった。泳ぎ回る魚の最高の姿を一瞬でとらえることにどれだけの魂を込めていたか。デジタル世代のフォト派には窺い知れないだろうが、それだけ水中撮影をするのはとても大変だったことがわかるだろう。

舘石が実際に使っていたタテイシブロニカマリンⅠ

こちらも舘石が愛用していたタテイシブロニカマリンⅡ

1980年代
ニコノス以外の水中カメラも登場

ニコノスⅤとオート露出ストロボが登場!

1980年になって、(株)ニコンから「ニコノスⅣ-A」が登場。ユーザーからの要望が最も多かったTTLの絞り優先オート機能を搭載し、ファインダーもより大型化。
それまでのニコノスとデザインも機能も大きく変わり、同時にスピードライト(ストロボ)「SB-101」が発売され、それまでフラッシュガンや他社製のマニュアル露出ストロボからオート露出が可能になった!ということで、水中撮影を一気に飛躍させる画期的な事件となった。
プロの写真家も多く愛用するようになり、一般ユーザーにもかなり普及し、1970年から始まった「マリンダイビング水中写真コンテスト」での撮影機材もトップクラスになった。

そして1984年には「ニコノスⅤ」が発売された。
Ⅳ型まではAE専用機だったが、Vになってマニュアルが加わり、また同時に発売されたスピードライトSB-102のTTL調光が可能となった。現代のストロボに比べるとかなり大きく、チャージも非常に長いかもしれないが、フィルム時代の水中カメラの代表として、爆発的にユーザーに広まった。
しかも1985年にUWニッコール20mmF2.8レンズが登場。フォーカシングはそれまでのニコノスのレンズと同様、目測ではあったが、ワイドでも非常にピントが合いやすく、“撮れるカメラ&レンズ”としてさらに水中写真愛好家が増えた。

オレンジと、モスグリーンのボディがオシャレだった「ニコノスV」

SEA&SEAからも水中カメラが登場

1981年、全天候型カメラ「ポケットマリン110SE」が誕生した。世界初の水中ストロボ「YELLOW SUB-32」を1972年に開発し、世界に向けて輸出していた日本のメーカー、SEA&SEA(現在のシーアンドシー・サンパック株式会社)の手による世界初のモータードライブ水中カメラで、「110(ワンテン)フィルム」というカートリッジタイプの16mmフィルムを採用するタイプ。35mmフィルムに比べて格安だったこともあり、手軽に写真を楽しもうという方々にも広まったもので、水中写真を手軽に撮って楽しみたいという人たちにも浸透。

1983年には35mmフィルム版で世界初のモータードライブを採用した「モーターマリン35SE」がSEA&SEAにより発売される。ストロボ内蔵型、シャッター速度固定、フィルムは自動巻き上げと、非常に使いやすく、レンタルカメラとしてもかなり普及していた。
また、スーパーコネクタにより外部ストロボが使用可能だったこともあり、フォト派にも人気に。
1989年には外部ストロボのTTLオートが可能になった「モーターマリンⅡ」が発売され、海のブルーに映えるイエローボディは世界中で愛され、日本でも利用するダイバーが増えた。

イエローボディで世界中の人に愛されていたSEA&SEAのモーターマリンⅡ。写真は1995年に発売されたモーターマリンⅡEX

ちなみに、SEA&SEAは1982年、ソニー(株)と水中ビデオハウジング「マリンパックMPK-M60」を共同で開発したのを皮切りに、水中ビデオハウジングでも開発を進め、ビデオ派も増えていく。

水中ハウジングメーカーが続々誕生。
ハウジングも普及

水中写真の普及にともない、“勘”でピント合わせをする水中カメラでは物足りなくなってきたフォト派が本格的な一眼レフカメラを水中に持ち込みたいという欲求が増えてきた。
『マリンダイビング』で科学ジャーナリストとして海洋開発について1970年代に多数、投稿していただいていた工藤昌男さんは、舘石がブロニカマリンを製作する頃からアクリル製の水中ハウジングを作っていたが、株式会社DIVという会社を立ち上げ、本格的に水中ハウジングメーカーとして登場。受注生産ということで、すべてのカメラに対応するハウジングをアクリル製なので安価で提供してくれるということで話題になった。

当時、東京・銀座で水中カメラ全般を販売していたタートル商会では、「トリエステ」を製造販売。フォト派の意見を多数採り入れた優れたハウジングとして人気の高い製品を続々登場さえた。

また、海外でもAquatica(アクアティカ)、Tussy(ツッシー)、Hugy(フォギー)、Ikelite(アイクライト)といったメーカーのハウジングがいろいろと販売され、日本にも輸入されるようになった。

タートル商会(当時)から製造販売されていた「トリエステ」。ニコンF801用のハウジングはハウジング黎明期の人気商品だった

姉妹誌『マリンフォト』の創刊

ニコノスⅤの発売で一気に水中写真を撮る人が増え、水中撮影に関する情報へのニーズが高まった。日本の水中写真家のパイオニアとして活躍している舘石昭は、1988年、『マリンダイビング』の姉妹誌として水中写真専門の雑誌『マリンフォト』を世界で初めて発売。現在は休刊しているが、季刊誌として登場した『マリンフォト』はすぐに隔月刊誌となり、1994年には月刊誌となっている。
水中写真の情報と美しい水中写真が掲載されたUWフォトマガジンとして海外でも高い評価を得、ヨーロッパ、アジアで似た雑誌が発売されたこともあった。

フィルムもより鮮やかに、よりシャープに

水中写真の進化の中で、忘れられないのはフィルムの進歩。
舘石が水中写真を始めた時は画質的に35mmフィルムで撮影した画像を引き延ばして大判のポスターを作ることはできなかったのだが、フィルムも徐々に解像度がアップし、1980年代に入ると35mm判で十分にポスターは作れるようになり、誌面の美しさもアップした。

特にフォト派の心を動かしたのは、フジフイルムから登場した35mmリバーサルフィルム「Velvia(ベルビア)」だろう。赤緑色を強調したフィルムで、ほかに比べて色鮮やかに再現してくれると、多くのフォト派ダイバーの間に広まった。
舘石はフジフイルムの同じくリバーサルフィルム「プロビア」と、コダックの「エクタクローム」を好んで使っていたが(ブルーの色がキレイに出るという意味で)、好みによってフィルムが選べる時代にまでなっていった。

フィルムを現像するまで写真が確認できない、どんなに頑張ってもカメラ1台で36枚+αしか撮れないというジレンマは大きかったが、その分、潜水時間を考えながら、被写体と向き合う時は一瞬一瞬を大事に、1カット1カットに魂を込めて撮影していた時代。古き良き時代だったのかもしれない。

1990年代
ニコノスRSの誕生と
デジタルカメラの夜明け

世界初の水中専用AF一眼カメラ 
ニコノスRS AFが誕生

1992年、ニコンから世界初の水中専用AF一眼レフカメラ「ニコノスRS」が登場した。
水中フィルムカメラとしては最高峰で、本体とレンズやストロボを合わせると100万円以上したのだが、それでもなおRSを求める人は多く、常に品薄状態といった感じ。
しかも、このカメラ、非常によく撮れた。1992年以降は舘石のカメラバッグがほとんどRSで埋まっていたものだ。1994年、ニコノスRS AF用のR-UW AFフィッシュアイニッコール13mmF2.8が発売されると人気の加速度は増し、より広いワイドな水中世界が誌面や一般のメディアを飾るようになった。
今なおフィルムでの撮影にこだわる人の中には、ニコノスRS AFを愛用している人がいるほどだ。

ニコノスRS-AFにR-UW AFニッコール28mmF2.8レンズを搭載。同時発売されたSB-104を2灯セットしたもの

水中専用のR-UW AF ニッコール20-35mmF2.8ズームを搭載したパターン

手軽なオート一眼レフカメラ登場で
ハウジング派が激増

一方で、水中ハウジングも非常に人気が高くなり、1991年には多くのプロカメラマンが絶賛するハウジングメーカー、ANTHIS(アンティス)が登場。「Nexus」というブランドは、世界にも広がっていった(現在もなお、デジタル一眼レフカメラ用のハウジングで人気)。

そんな中、1993年、キヤノンから「キヤノンEOS Kiss」が発売された。
エントリークラスの一眼レフカメラ(当時はまだフィルム)はプロ仕様の機種が多かったのだが、女性でも手軽に使えるようにとコンパクトで、なおかつプログラムAEやマニュアル・絞り優先・シャッタースピード優先も搭載され気軽に撮れるとあって、一般的にも爆発的なヒット商品となる。これを持ち込まない手はないと、各ハウジングメーカーが専用ハウジングをプロ仕様のハウジングよりぐっとお手頃な値段で販売。EOS Kissのフォト派が一気に増えた。

1996年に発売された「NEW EOS Kiss」のハウジング「X1-Z」は1998年、イノンからも発売された

フィルムカメラ 潜ルンですが大人気に

一眼レフカメラが台頭する一方で、“使い捨てカメラ”という名で1986年に登場、一躍ヒットした「写ルンです」(その後、印象が悪いということで“レンズ付フィルムカメラ”というキャッチフレーズになったが)。1987年にはストロボを搭載した「写ルンですフラッシュ」が販売される。
これを水中にも持っていって、気軽に撮ろう!ということで、(株)ユーエヌ(当時)から、「潜ルンです」というハウジングが1991年販売された(本体だけで水深3mまで潜れる「写ルンです 防水」も同年発売されている)。
なかなか水中撮影は難しかったが、手軽に撮れる水中カメラということで国内外で広まった。
ちなみに2016年、「写ルンです」は誕生30周年を記念して再発売され、女子の間で人気が再燃しているという。

1991年に発売された「潜ルンです」

デジタルカメラの足音が

デジタルカメラは1970年代から登場しており、日本でも1988年にはフジフイルムから画像をデジタル方式で記録する初めての一般向けカメラが登場したが、電源がなくても記録保持のできるフラッシュメモリを初めて登場させたのは1993年、フジフイルムの「FUJIX DX-200F」だといわれる。

その翌年、カシオ計算機が液晶パネルを搭載、撮影画像をその場で確認できる「QV-10」を発表、1995年に発売する。
1996年にはオリンパスから「CAMEDIA C-800L」が発売され、「1万画素1万円」といわれていた時代に、81万画素で128,000円というデジカメとしてはリーズナブルな価格帯に。コンパクトで高画質ということで大ヒット商品となる。
そして、1998年、「CAMEDIA C-920ZOOM」および「C-900ZOOM」専用の防水・防塵プロテクタ「PT-003」がオリンパスから発売された。水深30mまでの水中撮影を可能にするもので、とにかくコンパクトなことから、人気が高まり、デジタル水中写真普及の幕開けとなった。

本格的なダイバー向け水中デジカメの幕開けとなったハウジング(防水プロテクタ)「PT-003」(オリンパス製)。当初はこのようなブルーのハウジングもあった

一眼レフのデジカメも登場 プロが着手

デジタルカメラはコンデジことコンパクトデジタルカメラの発展も目覚ましかったが、やはり各メーカーが高度な技術を競って発展させていったのが一眼レフデジタルカメラ。 1995年7月にはキヤノンがプロフェッショナル向けに「EOS DCS 3」(130万画素)を発売、それを追うように9月、ニコンからプロフェッショナル向け「E2」「E2s」(130万画素)が、10月にはミノルタ(現コニカミノルタホールディングス)から「RD-175」(175万画素)などが登場。値段もキヤノン、ニコン製品は100万円超だったこともあり、水中写真に持ち込むプロはまだ少なかった。

1999年、ニコンからDXフォーマットを初採用した「D1」を発売(274万画素)。この頃からどんどん画素数の高い商品が開発されるようになり、また、記録メディアの容量も少しずつ大きくなっていった。それに伴い、デジタル一眼レフ用のハウジングも登場するようになっていった。

2000年代
デジタルカメラ全盛時代

オリンパスのコンデジが大人気に

まだフィルムカメラを使うフォト派ダイバーも少なくなかったが、フィルムを購入して現像する必要がなく、撮ったその場で画像を確認できるというデジタルカメラの人気はダイバーの間でもどんどん広まっていたのがこの時期。
2000年代初期の頃は記録メディアは容量が小さく、撮影するとすぐにいっぱいになってしまうし、1枚1枚の画素数も少なかったので、『マリンダイビング』の誌面に反映させるには足りなかったのだが、それも時間が経つにつれて反映するのに十分なぐらい撮影できるものも増え、2010年代に入る頃には一眼レフばかりかコンデジで撮影したものでも、掲載するのに十分すぎるほどの進化だった。

特にフォト派ダイバーの間で人気だったのが「赤色ハウジング」で人気を博したオリンパスの「μ(ミュー)」シリーズ。コンパクトサイズで防水設計になっているため、2003年に発売された「μ-10DIGITAL」を皮切りに人気は高まっていった。ハウジングも「PT-016」が同時に発売されたのを機に、次々とコンデジの新機種が出るたびに、新しいハウジングが登場。どんどん使いやすく改良されていった。

コンデジをもっと広めようと、㈱水中造形センターでは2003年、「第1回デジカメフィールドフォトコンテスト」を伊豆、八幡野で開催。好評に付き、その後何年もフィールドフォトコンテストは開催地を変えながら開催された。

『マリンダイビング』姉妹誌の『マリンフォト』2003年10月号にも、第1回デジカメフィールドフォトコンテストのレポートと受賞作品が掲載された

2003年頃、本格的な水中写真を撮影できるコンデジとして大人気だったオリンパス CAMEDIA C-5050ZOOMと“赤いプロテクタ”「PT-015」

一眼レフデジタルカメラの進化と
ミラーレス一眼カメラの登場

2000年代に入るともはやデジタル化の波は止められず、陸上のプロカメラマンはほとんどがデジタル化。水中カメラマンたちも各メーカーの最高機種のデジタルカメラをハウジングメーカーに作ってもらって、水中に持ち込むようになってきた。

さらに、一眼レフの光学式ファインダーの代わりに電子ビューファインダーや液晶ディスプレイを通じて像を確認するミラーレス一眼カメラ(レンズ交換式カメラ)が登場。
2008年にパナソニックが世界初のミラーレス一眼「LUMIX DMC-G1」を発売するや、2009年にはオリンパスからもミラーレス一眼「PEN E-P1」が発売される。

2010年代
多様化するさまざまなカメラ

カメラ女子を生んだミラーレス一眼

ミラーがなくなった分、一眼レフカメラよりもコンパクトになり、それでいて機能は抜群だったミラーレス一眼。2010年、オリンパスから「PEN LITE E-PL1」が発売されると、そのオシャレさから「カメラ女子」と呼ばれる女性フォト派が増えた。
水中でも同様で、同時発売された防水プロテクタ「PT-EP01」がまた非常にコンパクトでかなりヒットしたものだ。
さらにコンパクトで安価で買える「PEN MINI」シリーズも登場。

ニコンからも2011年「Nikon 1」が、2012年にはフジフイルムから「X-Pro1」、キヤノンから「EOS M」と、ミラーレス一眼カメラがどんどん発売され、一大ムーブメントとなっていった。

TGシリーズが一世を風靡

そんな中、オリンパスが「μTOUGH」シリーズとして出ていた防水コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)が2012年、「Tough TG-1」として登場。水深12m防水性能を搭載したタフなコンデジで、もちろんハウジング「PT-053」も同時発売。万が一、水中で水没したとしても12m防水だからカメラ本体水没のリスクが減少。さらに、本体だけでもドルフィンスイムやホエールスイムに持って行ける!ということで話題となる。

「OLYMPUS Tough TG-1」の本体

速いピント合わせ、F2.0の明るいレンズと、性能もどんどん進化したオリンパスのTGシリーズは、多くのフォト派ダイバーを席巻。解像度も画素数もアップして、昔の一眼レフカメラ並みの機能を持ち合わせるようになった。
そんな中2015年、登場した「STYLUS TG-4 Tough」に顕微鏡モードが搭載される。それまでもマクロ撮影には非常に強かったのだが、顕微鏡モードの搭載でミリ単位の生物も普通に撮影が可能に。ウミウシやエビ、カニといった極小生物ウオッチングが人気になったこともあり、さらに海辺はTGシリーズを持つダイバーが圧倒的に増えたのだった。

2017年に登場した「STYLUS TG-5 Tough」と専用ハウジング「PT-058」。TGシリーズのハウジングが出る頃から反射を防ぐため黒ケースとなっている。

スマホで水中写真

今やカメラをしのぐ性能の良さで、カメラメーカーにとって脅威となっているのがスマホことスマートフォン。搭載されているカメラ性能が非常に良く、廉価なコンデジよりもよっぽど撮れるということで、カメラは持たないで、インスタグラムやFacebookといったSNSに投稿する人も大多数だという。
このスマホを持っていけるようにしたハウジングも販売されている。液晶のシャッターボタンをしっかり押せるボタンなどが付いており、使いやすいと利用者の評価は高い。
が、大事なスマホを万が一水没させてしまったら……と心配する人も多いようで、スマホの水中フォト派は一定数以上にはなっていないかもしれない。また水中では使わなくても万が一、漂流した時の連絡手段として携行するという人も。今後どうなっていくかが楽しな分野だ。

ハイエンドのコンデジも登場

科学技術の進化により、コンパクトカメラでも一眼レフ並みの高度な技術を搭載する高価なコンデジ(「高級コンデジ」「ハイエンドコンデジ」と呼ばれる)が2010年代に入って出現。巷ではここ数年とても流行っているという。スマホに比べて解像力が抜群に優れているため画質がとにかく素晴らしい。それでいて、一眼レフのようなボディの大きさはなく(最近の一眼レフもだいぶコンパクトになった機種もあるが)、手のひらにおさまるほど。
ニコン、キヤノン、ソニー、パナソニックなどから販売されているので要チェックだ。

ダイビングにも通用する防水カメラ

デジタルカメラが登場してから、防水のデジカメはいくつも出てきたが、本格的にダイビングに持ち込めるかというと、フィルムカメラの時代のニコノスのようなカメラはなかなか登場しなかった。
オリンパスもTGシリーズはかなり防水性能が高まっているが、TG-5も水深15m相当と、ハウジングなしでは通常のダイビングには連れていけない。
2013年、ニコンが発売したレンズ交換式カメラ(ミラーレスカメラ)「Nikon 1 AW1」も水深15mまでだった。
ところが2015年、ニコンから水深30mに対応するコンデジ「COOLPIX AW130」が登場! 往年のフォト派ダイバーには「よくぞニコン!」と絶賛する声も大きかった。予備機として水中に携行するプロのフォトグラファーもいるほど。

そんなニコンから2017年、さらに進化した水中コンデジ「COOLPIX W300」がデビュー。
ISO感度最大6400もあるので、暗い水中でも手ブレなしで撮影ができるし、LEDライトボタンがあり、暗い場所でも手元を照らすことができる。さらに液晶モニターが大きく、見やすい。有効画素数も1605万画素あり、4K UDH動画の撮影も可能と、いいことずくめ。
また、外付けフラッシュSB-N10(2014年、ニコンから発売された水中ストロボ)にも対応しており、よりいい水中写真が撮れるようになっているともっぱらの評判だ。

ニコンCOOLPIX W300は水深30m防水。そのままでもダイビングに連れていける水中デジタルカメラだ

広がる水中撮影の楽しみ

50年、いやそれ以上を振り返ってみると、現代ほど水中写真が楽しく撮れるようになった時代はない。バッテリーさえしっかりチャージしておけば、記録メディアも容量が大きくなっているので、1ダイブで心ゆくまで撮影ができるし、スチール写真だけでなく、コンデジででも、一眼レフででも動画が撮れる。
一方で、ウエアラブルカメラも水中撮影が可能になり、ダイビング中、スイッチをONにしたままで臨場感あふれる水中動画も撮影できるし、その中からお気に入りの写真を取り出すこともできる。
さらに、水中ドローンも登場。自分が動かなくても操作するだけで水中動画が撮影できるようになっている。
360度が撮れるVRカメラもまたしかり。自分の好みで、いろいろな撮影ができるというわけだ。
撮った写真や動画をSNSにアップするもよし、地球の海フォトコンテストなどに応募してアートやドキュメンタリーとしての作品にするもよし。自分の好みのスタイルで水中という素晴らしい世界を切り取ることを楽しんでいただきたい。

本格的な水中世界の撮影を可能にするミラーレス一眼、オリンパス「OM-D E-M1 MarkⅡ」と専用ハウジング「PPT-EP14」。
「OM-D E-M1 MarkⅡ」はOM-Dシリーズの最上位モデル(2018年10月現在)。驚異の高速連写性能をはじめ、あまりにもスゴイ技術の高さには舌を巻くばかり

ソニーのウエアラブルカメラ「デジタル4Kビデオカメラレコーダー アクションカムFDR-X3000/3000R」と防水ハウジング「MPK-UWH1」、ライブビューリモコンキットAS300R

360°カメラ「RICOH THEATA Ⅴ」と「水中ハウジングケースTW-1」

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