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小笠原諸島返還50周年×『マリンダイビング』
創刊50年記念

小笠原 Back to the Feature

小笠原諸島返還50周年×『マリンダイビング』創刊50年記念 小笠原 Back to the Feature

第二次世界大戦後、沖縄が米軍領となったことは有名だが、
小笠原諸島もまた米軍の統治下に置かれ、1968年にようやく日本に返還された。
それから50年。強制疎開の後、島に帰れなかった人たちも戻り、漁業や農業に従事。
さらに日本人の生活が豊かになるにつれ、観光業も盛んに。
過去に一度も大陸に属したことがない海洋島だけに、固有の動植物も多く、
東洋のガラパゴスとして、日本人のみならず海外の観光客も訪れる観光地に。
そんな小笠原、主に父島のダイビングシーンの50年の変化を
『マリンダイビング』創刊50年の歴史とともに振り返ってみる。

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小笠原の南西端にあるジニービーチ。名前からして米国に関わった歴史が感じられる

50年前の小笠原

第二次大戦で全島民が強制疎開

『マリンダイビング』と小笠原の関わりを紹介する前にまず、小笠原の歴史を紹介しておく必要があるだろう。

小笠原村観光協会によると……
小笠原諸島の存在が確認されたのは1593年、文禄2年、徳川家家臣の信州深志の城主、小笠原長時のひ孫、小笠原貞頼の発見によるとされているが、定かではない。
しかし、最初の定住者は日本人ではなく、当時欧米で盛んだった捕鯨船に水や食糧を提供するために住み着いた欧米人5人とハワイ人15人であった。
その後、度重なる交渉の末、明治政府が明治9年(1876年)に領有宣言。国際的にも小笠原が日本の領土であることが認められる。

農業、漁業が盛んになり、当時日本の領地だったマリアナ諸島への中継地点として大正後期には人口7,000人を超え、小笠原の最盛期を迎えた。
だが、太平洋戦争を機に、小笠原の運命は激変した。

父島、母島、硫黄島に住んでいた6.886人の島民は昭和19年(1944年)、本土へ強制疎開をさせられ、硫黄島では日本軍が玉砕。日米両軍の尊い命が奪われることとなってしまった。

1945年、日本が負け、小笠原は米軍の統治下に置かれる。
強制疎開をさせられていた島民だが、一部の欧米系島民しか帰島を許されず、ついにすべての島民の帰島が許されたのは、それから23年後、米国から日本に小笠原諸島が返還された昭和43年(1968年)6月26日のことだった。
帰島に関しては島民たちの並々ならぬ努力が必要だったことは想像にかたくない。

1972年に小笠原海運が定期航路を就航し、片道44時間で東京・竹芝桟橋-父島間を結び、1979年には村政が確立され、新しい小笠原の村づくりが始まった。

最初のダイビングサービスがオープンしたのは
1972年

しかし、50年前にはレジャーダイビングどころではなかったわけで、それならばと、各ダイビングサービスがオープンした当時のことを聞いてみた。

一番早く小笠原でダイビングサービスを始めたのは、警察官として小笠原村に赴任した古賀昭仁さん。もともと復帰して間もない小笠原へ自ら異動を希望して父島に出向き、1年間の任務を終えて東京に戻ってきたものの、「やっぱり小笠原で暮らしたい」と退職。小笠原に戻り、46年前の1972年に《小笠原ダイビングセンター》をスタートさせた。
「ほかの人と同じことはしたくない」と、常に新しいことを考え、当時のダイビング界では超ビッグなダイビングボート「韋駄天」を導入。陸でも海でもワクワクさせてくれる名ガイドは“古賀じぃ”と呼び親しまれ、2010年に引退されるまで大人気だった。
現在は2代目の森田康弘さんが社長で、回答してくださったのはその息子さんでダイビングガイドとして頭角を現している森田康平さんだ。
「先代に聞いたところ、初年度は3名!?のダイバーから始まったと聞いています」
その当時から考えたら、本当にたくさんのダイバーが小笠原を訪れるようになり、隔世の感があるとのことだ。

小笠原名物、「おがさわら丸」出港時に“お見送り”をするダイビングボート。 手前は現代の「韋駄天Ⅲ」号

古賀じぃこと古賀昭仁さんに『マリンダイビング』がインタビューしたときの記事 1992年5月号(通巻231号)

1980年代に2つのダイビングサービスがオープン

シロワニは1980年代は今よりももっと多く見られていたとの説も

《小笠原ダイビングセンター》がオープンして11年。
2つのダイビングサービスが新たに誕生した。
一つは《パパスダイビングスタジオ》。
「営業当初の海を知るのはオーナー(森下秀夫さん)しかいないのですが、僕が聞いている限りでは昔のほうが水温が温かかった(気がする)とのこと。そのせいなのか、島の浅瀬でシロワニが見られていたんだとか(これはもっと前のことなのかもしれません)。
またクジラの数は今のほうが多いようです。

ダイビングスポットに関しては、今よりももっと数が少なかったです。一度、会社の倉庫にあった昔のポイントマップを見たことがあるのですが、今の半分ほどしかないように思えました。
昔はレアなマクロ生物などはあまり人気がなかったみたいなので、そのような場所はポイントになっていなかったのかもしれません。
また創業当時は自社を含め3社しかダイビングサービスがなかったため、父島周辺のダイビングスポットもケータのスポットのように人の干渉が少なくて、もっと魚影が濃かったかもしれませんね。
2011年に世界自然遺産に登録されてから、通常の観光客が増大。それとともにせっかくCカードを持っているのだから久々に潜ろうというブランクダイバーさんやビギナーさんが増えたように思います」
(パパスダイビングスタジオ/竹部航星さん)

なお、もう一つは≪KAIZIN≫だ。

島周りのスポット「霊岸島(れいがんじま)」もヨスジフエダイ、ノコギリダイをはじめとする コーラルフィッシュがたくさん!

さて、本誌が1970年代、小笠原特集のために訪れた際、お世話になったガイドさんの一人が《シートピア》の筒井秀法さん。宿泊サービスは1974年からスタートしており、その当時お世話になったようだ。
実際に、ダイビングサービスとしての《シートピア》は33年前の1985年にスタートした。
「当時を振り返ればダイビングで訪れる観光客も少なく、夏、秋がダイビングシーズンとなっていました。
今でも変わらずビーチダイブでコーラルフィッシュが群れるサンゴ礁を楽しめるため、スノーケラーの方にも人気のポイントがたくさんあります。
現在は、ボートダイブが主流で上級者向けのポイントが多く開拓され、ダイナミックなポイントに人気が集まっています」

確かに、1980年代はまだホエールウオッチングもスタイルが確立されていなかったので、一年中、ダイバーが小笠原を訪れるということはなかったのだった。

1990年代にさらにサービスは増え……

秘境中の秘境といわれ、ダイバーが憧れるケータ列島。嫁島「マグロ穴」では巨大なイソマグロが群れを成していることも少なくない

1980年代の終わりごろからハワイでホエールウオッチングが盛んになり、日本でもザトウクジラがやってくる海として注目を浴び始めたのが小笠原だった。

1993年、二見港のすぐ目の前にある《マリンコンダクター エスコート》がオープンした。
25年前に店をつくった杉浦さんから、小笠原に冬~春やってくるザトウクジラのオスが、メスやその子供がほかの強敵から襲われないようエスコートする姿と、サービス業としてゲストをエスコートすることの大切さから店名をつけたと以前お伺いしたことがあるが、現在の代表、太田幸弘さんも22年ほど前から小笠原の海を見続けてきた方だ。

さらに1997年には《ペンション&ダイビングサービスFISHEYE》が開業。
「おがさわらのダイビングスポットや海は、船が運んでくるダイバーの人数も知れているため、今も昔も変わりません。
2年前の村の統計では、小笠原を訪れるダイバーの数は20年前には年間3,500人だったのに、現在は2,000人と減少。
特に聟島列島(ケータ列島)の北の地域が天候のため、夏の5カ月間しか利用しないので海も山もほぼ秘境のまま残されています。
秘境を潜るのならダイバー数が減っている今、この夏がチャンスです」
と、スタッフガイドの後藤勇樹さん。

世界自然遺産の登録で一般観光客が増え、逆に船の予約がなかなか取れなくなっているということもあるのだろう、訪れるダイバー数の減少は悲しいけれど、その分、手つかずともいえる大自然が味わえるようになってきているのは、50年という歴史ある海としてはかなり珍しいのではないだろうか。

シロワニもイルカも元気! 2018年4月の海の様子
撮影/久保田真仁(FISHEYE)

21世紀にも少しずつダイビングサービスが増加!

写真はハンドウイルカだが、ハシナガイルカとも水中で会えることが多くなってきた

2004年に地元出身のオーナーがオープンさせたのが《URASHIMAN D.S. OGASAWARA》だ。
「私は営業開始時からいるわけではないので当時の様子はわかりませんが、訪れるダイバーの幅は広くなっていると感じます」とスタッフの藤田彩乃さん。

ところで、小笠原はホエールウオッチングの島として確立したのとともに、ダイビングやスノーケリングでイルカと遊べる島としても注目を浴びる、イルカの躍動感を撮影して話題になっているのは、2005年にオープンした《Deep Blue》代表の田中美一さん。
田中さんご自身は28年前から小笠原の海を追い続けているフォトグラファーでもある。

ケータ列島といえばイソマグロの大群! 5月頃から8月、9月頃まで狙える
画像提供/田中美一(Deep Blue)

さらに2012年開業の《ネイティブカラー》の江口尚宏さんは、この6年のスパンではあるが
「ここ数年では大きな変わりはありません。ダイバーはビギナーさんやブランクダイバーさんが増えています」とのこと。

そして最も若いダイビングサービスを立ち上げ頑張っているのは《BONIN WAVE》の柴山淳志さん。
「2008年から小笠原でガイドをしていますが、変化はあまりないように思います。
変わったのはハシナガイルカが以前よりもフレンドリーになってきていて、スイムでも近くに寄ってきてくれるようになりました」
これはすごいニュース!
人とイルカやクジラがいい関係を築いてきた証ともいえるだろう。

これからも50年、100年と、素晴らしい海を次世代のために残していってほしい。
そのためにも私たちも海に無駄なゴミを捨て、汚染しないよう、心掛けていかなければならない。

『マリンダイビング』と小笠原の50年

情報がほとんど入ってこなかった小笠原

『マリンダイビング』1976年4月号(通巻38号)にようやく出てきた小笠原の情報だが、既にあったはずの《小笠原ダイビングセンター》の名前はなく……

1969年に創刊したスクーバダイビング専門マガジン『マリンダイビング』に小笠原という名称が出てくるのは1976年4月号(通巻38号)、日本全国のダイビング特集でのことだった。
ダイビングの窓口は「小笠原マリーナ」となっていて、残念ながら1972年にオープンしていた《小笠原ダイビングセンター》のことに触れられていない。
それだけ情報がなく、遠い存在だったことがわかる。
ただ、その3号後の7月号(通巻41号)で「’76日本インストラクター名鑑」といって、インストラクターの顔がずらっと並ぶ壮大な企画があるのだが、そこには《小笠原ダイビングセンター》の初代代表、古賀昭仁さんの顔写真とお名前が!

初の小笠原特集はモノクロだった

1979年1月号でようやく小笠原特集が掲載される。
撮影は舘石昭のほか、当時、東京のダイビングショップ《バディ》の菅又久幸さんが撮影、文となっている。菅又さん、ありがとうございました!

言葉で説明するよりもその特集をアップしてしまうと・・・
モノクロ!!
カラーページの印刷が難しかった時代を感じさせるのだが、モノクロでも当時の小笠原の海の豊かさをたっぷり味わえることがおわかりいただけるだろう。

『マリンダイビング』1979年1月号(通巻71号)で初めて小笠原特集が登場!
ダイビングスポット数が明らかに現在よりも少ない。ダイビングサービスは1軒《小笠原ダイビングセンター》があるのみだった

1979年4月、おがさわら丸就航!

『マリンダイビング』1979年11月号(通巻81号)の小笠原特集は、カラーページに!

この1979年1月号の小笠原特集を見ていくと、最後の囲み記事「小笠原ガイド」の〈交通〉の欄に、小笠原海運株式会社が約週1便で父島丸を運航しており、所要時間が36時間といった記載がある。それに続き、「4月より26時間で運航する新造船就航予定」という文章が。
まったく目立つような記事ではなかったのだが、これこそが「おがさわら丸」の初代の船! 実際、小笠原海運の「おがさわら丸」が就航したという記事は同年11月号(通巻81号)の『マリンダイビング』の小笠原特集で紹介されている。

表紙や背表紙にも小笠原の文字が!

『マリンダイビング』1981年4月号(通巻98号)の表紙。
写真は小笠原ではなくニューカレドニアで撮影したもので、今の時代に出したら環境保護団体から一気に攻め込まれるに違いない……

「おがさわら丸」の就航で、一気に運航時間が縮まった小笠原(片道28時間であった)。
ダイバーも次々と訪れ、どんどんダイビングスポットが開拓され、東京から行く近海では見られない生物も続々発見され、ちょっとしたフィーバーになっていたようで、『マリンダイビング』1981年4月号には、そうしたレポートが掲載されている。
また、この号では表紙、そして背表紙にも小笠原の文字が!

1983年には沈船特集も

『マリンダイビング』1983年5月号(通巻123号)掲載の 小笠原の沈船ダイビングスポット特集

1983年5月号(通巻123号)では「小笠原の海は、日本最大のWRECK DIVINGのポイントだ」と題して、沈船スポットの特集を組んでいる。
今でも小笠原には名前がわかっていない沈船がたくさんあるのだが、海中で魚たちの恰好のすみかとなっていて、ダイバーを喜ばせてくれるのだ。

モノクロページの沈船スポット紹介も秀逸。
「沈船ベスト3」という記事では「滝之浦の沈船」その3、その4、その5がスリートップ。
現在、「バラ沈」「横沈」「深沈」と呼ばれているスポットではないかと考えられる。

1航海、2航海と旅のプランとともに特集

5泊6日プランでも、ジンベエザメに会えちゃう!的なことが書かれているんだが、 ごくまれなのであしからず・・・
1986年6月号(通巻160号)より

小笠原が日本を代表するダイビングエリアとして確立してきたこともあって、『マリンダイビング』では年に1回だった特集が、2回、3回と増えていくようになった。
1986年6月号(通巻160号)では、夏休みプラン大特集ということで、小笠原5泊6日(1航海)と10泊11日(2航海)のプランを紹介。
本誌の水中写真コンテストで佳作に入賞した方の写真が小笠原で出会ったジンベエザメ。
ということで、その方にお写真をお借りして、1航海パターンではジンベエザメの写真を掲載。
いやいや、1航海で確実にジンベエザメに会えるなんてお約束できませんから!
と突っ込みを入れたくなるけれど、小笠原のポテンシャルの高さを象徴する特集だ。

10泊11日なら7日間ダイビングが可能。
ぜひケータ列島へ行きたい!といった趣旨の特集だ
1986年6月号(通巻160号)

また10泊11日では、ケータ列島への遠征プランを提案。
ケータ列島・嫁島「マグロ穴」のイソマグロが初めて本誌に登場している。

1989年ついに巻頭に!

1989年9月号(通巻199号)巻頭特集の小笠原の扉ページはマンタを追うスノーケラーの姿。それにしても海が青い!

それまでにもたくさんの小笠原特集が組まれてきたが、1989年9月号(通巻199号)にしてようやく巻頭で特集が組まれた。
これは、過去にも取材班は出ていたが、実際に行かれたダイビングショップのインストラクターなどの寄稿によるものが多かったためなんだろうか。
この号では、撮影課のカメラマンと編集部のライターがセットで取材をしていることもあって、ついに巻頭での特集になったのかもしれない。

スノーケリングでとはいえ、マンタにも会え、大きなシロワニ、ケータのイソマグロ、イルカの群れなどなど、小笠原らしい生き物の撮影もでき、大当たりな取材だった。

なお、この時はすでにダイビングサービスが3軒あると紹介されている。

1996年末には読者ツアー。
さらに1997年、2代目「おがさわら丸」登場!

『マリンダイビング』1997年3月号(通巻289号)に掲載された小笠原読者ツアーの様子。左側には《パパスダイビングスタジオ》の広告がある。
また最後には2代目「おがさわら丸」の完成予想図と、就航予定が。 片道28時間半が3時間短縮されて、25時間半になる! とのことで、小笠原ファンが大喜びしそうなニュースとなっている

順調に年に1回は必ずといっていいほど小笠原特集が組まれてきており、ついには「マリンダイビング・読者ツアー」も開催。
男性11名、女性8名が1996年年末から1997年にかけて小笠原を楽しんできた。

その様子が1997年3月号(通巻289号)の『マリンダイビング』に出ているのだが、最後のほうに「新しくなったおがさわら丸でいざ出発!」という記事が。
(2月10日発売なので、まだ新しくなってはいなかったはずなのだが・・・苦笑)。
続くモノクロページでは、新しくなる「おがさわら丸」は、所要時間が3時間も短縮!とある。

なお、このときのダイビングサービスは5軒(プラス1軒は、どちらかというとドルフィンスイムとホエールウオッチングのツアーを開催)が紹介されている。

別冊付録も登場!

2代目「おがさわら丸」が登場した1997年。
『マリンダイビング』はついに小笠原(&伊豆諸島)の別冊付録を制作。
実際に旅に持っていっても役立つ内容のガイドブックとなった。
これを見ると、1970年頃よりもダイビングスポットは増えており、バリエーションがさらに豊かな海として紹介されている。
また、ダイビングサービスの紹介には、現在は独立して自分の店を構えている方々が、修行していたお店のコメンテーターとして登場している。

1997年6月号(通巻292号)では、本誌でも小笠原と伊豆諸島を特集しつつ、別冊付録も付くという豪華企画に

ついに別冊付録も登場した小笠原(&伊豆諸島)。 1997年6月号(通巻292号)

1998年は本土復帰30周年を記念して特集

今年2018年が本土復帰50周年ということはその20年前は30周年。
このときも本誌創刊30年とともに30周年を祝おうというムードで特集が組まれている。
また、その前にもマッコウクジラの写真は現地の方にお借りして掲載されていたのだが、「この夏はマッコウクジラに注目!」ということで《小笠原ダイビングセンター》の森田康弘さんにお写真を借りてマッコウクジラの水中写真を発表している。

また、時代はフィッシュウオッチングブーム。
小笠原には約800種の魚が生息していると当時の記事にはあるが、和名にない魚や日本で初めて発見された魚がいるということで、同じく森田さんにお写真を借りて、その紹介をしている。
日本は初記録のニラミハナダイやカレハスズメダイなどは、森田さんが1997年秋に魚類学会に登録したものでもあった。

『マリンダイビング』1998年3月号(通巻301号)で紹介された、森田康弘さん(小笠原ダイビングセンター)撮影のマッコウクジラ

同じく森田さん撮影の和名のない魚や日本で初めて発見された魚たちも、同じ号で紹介された

1999年に母島にもダイビングサービスが誕生

スクープ!ということで母島を初公開した『マリンダイビング』1999年6月号(通巻320号)。
ちなみに、1997年6月号で登場した「小笠原&伊豆諸島ガイド」別冊付録は毎年6月号で登場するようになっていて、この号にも付録として付いており、母島のダイビングスポットも詳しく紹介された

東京から「おがさわら丸」で行ける父島がそれまではメインに紹介されてきたが、1999年6月号(通巻320号)で母島を紹介!
1999年4月20日にダイビングサービスが誕生したためだ。

現在は年に数回、母島漁協の許可のもと、父島からも遠征ができるようになっているが、秘境中の秘境、母島の登場に、当時は多くのダイバーが押し寄せた。

2011年、小笠原が世界遺産に!

『マリンダイビング』でも人気ディスティネーションとして毎年何回か特集が組まれていった小笠原だが、2011年6月28日、パリで開催されたユネスコの世界遺産会議で小笠原が世界自然遺産に正式に登録された。
登録の理由は、世界自然遺産の4つの評価基準(「自然景観「地形・地質」「生態系」「生物多様性」」のうちの「生態系」で。
大陸とつながったことのない「海洋島」だけに、島では独自に進化した生態系が見られるというのがその理由だ。
なので、実際は海が世界自然遺産に登録されたわけではないのだが、これにより世界の目が小笠原に向けられるようになり、海の中への興味も大きくなってきて、一般ダイバーというよりは体験してみたいという体験ダイバーも増えている。

なお、2011年のこの時期、父島のダイビングサービスは8軒に。

ユネスコの世界自然遺産登録を祝っての特集。
2011年8月号(通巻539号)

世界自然遺産登録ということで、小笠原村長の森下一男さんをインタビューした
『マリンダイビング』2011年10月号(通巻541号)

小笠原だけの付録が登場!

『マリンダイビング』2012年10月号(通巻554号)で付録として登場した小笠原ダイビングスポットマップ。この裏にはダイビングのハウツーやお魚ガイドなど知りたい情報がぎっしり詰まっている

『マリンダイビング』ではしばらくの間「小笠原&伊豆諸島ガイド」という別冊付録を出していたが、2007年をもってお休み。 でも、やっぱり小笠原のダイビングガイド的なものは欲しい!ということで、2012年10月に折り畳みマップ「小笠原ダイビングガイド」付録が登場した!

最初に小笠原を特集した頃とは比べ物にならないぐらいダイビングスポットが多く、 紹介するのもやっとではあったが、大好評だった。

2016年、3代目「おがさわら丸」登場!

新しく誕生した「おがさわら丸」で行く小笠原の旅をシミュレーションした
『マリンダイビング』2016年10月号(通巻614号)

2016年7月、それまで19年にわたって東京・竹芝と小笠原・父島の唯一の定期船として活躍していた2代目「おがさわら丸」が引退。 代わって1.1万tと以前より大きくなったにもかかわらず省エネ・スピードアップ化を実現し、 片道24時間で小笠原に行けるようになった3代目「おがさわら丸」が登場。 本誌も早速取材班を派遣して、新しいおがさわら丸のレポートとともに、現地の海を紹介した。

この時点で父島のダイビングサービスも現在の10軒になっていて、宿泊施設も増えており、 アクティビティも確立されていて、小笠原の魅力をたっぷり味わえる舞台は整っている。

そして返還50周年×創刊50年の企画特集が

2018年、小笠原は本土復帰50周年を迎える。くしくも『マリンダイビング』も創刊50年ということで、2018年5月号では「小笠原の魅力50」と題して、小笠原・父島の特集を掲載。
現地ダイビングサービスの方々に、海、陸で小笠原の魅力を洗い出していただいたところ、ご回答いただいた方の返答がナントぴったり50になるという奇跡もあって、ダイビングスポットだけでなく、小笠原の見どころや食べ物など、魅力50をたっぷり紹介している。
ぜひご覧いただきつつ、自分でも小笠原の魅力をリアルに体験していただきに 小笠原を訪れて、潜っていただきたい。

『マリンダイビング』2018年5月号(通巻637号)で小笠原返還50周年×『マリンダイビング』創刊50年の特別企画を掲載!

近場でも人気のスポット「万蔵穴」。ハートの穴もフォトジェニックだが、 穴を抜けると広がるブルー&ホワイトの世界にもうメロメロ

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