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『マリンダイビング』創刊記念YEAR特集第7弾
『マリンダイビング』の50年と
ダイビング器材の50年

ベストパートナー 沖縄と『マリンダイビング』の50年

1969年に日本で初めて発行されたスクーバダイビング専門誌『マリンダイビング』。
2018年は創刊50年記念YEARとして、『マリンダイビング』とともに歩んだ
ダイビングにまつわるモノ、エリア、生き物などとの50年間をフィーチャー。
第7弾となる今回は、ダイバーにとってなくてはならないダイビング器材のお話。
■構成・文/後藤ゆかり(マリンダイビング編集長)

創刊時~1970年代
ダイビング器材開発期

BCも残圧計もなかった!?

1969年に『マリンダイビング』を創刊するにあたって、たくさんの方々のご協力をいただいたという。
創立者で水中写真家、編集長だった故・舘石昭が生前よく話していたのが、当時《帝國酸素》にいらした石黒信雄さん(故人)と、当時静岡県スキンダイバーズクラブに所属しており、後にダイビング指導団体ADS JAPANを設立した望月昇さん(故人)のこと。このお二人に協力していただき、株式会社服部統計店(現セイコーウオッチ株式会社)、日本アクアラング株式会社や鬼怒川パシフィック株式会社などの器材メーカーや日本工学工業株式会社(現ニコン)などカメラメーカーに広告をご出稿いただき、日本で初めてのスクーバダイビング専門誌が登場した。
つまり、1969年にはダイビング器材メーカー、カメラメーカー、そして、ダイビングを教えてくれるダイビングクラブが存在していたということになる。

私たちダイバーはレジャーを目的としているが、実はダイビングというのは水中での作業や軍事活動として古くから行われていて、戦前から伝わる潜水器材といえば、ヘルメット式で陸上から空気を送ってもらうタイプのもの。今でもヘルメット式の潜水作業は行われている。

そんな中、冒険をしたり水中ハンティングをしたりする人たちが登場。フランス人のジャック・イヴ・クストーがエミール・ガニアンという圧縮ガスのエンジニアと協力して世界初のオープン・サーキット・スクーバのレギュレーターを開発したのが1943年のことだった。その後、レジャーダイビング用の器材がどんどん開発され、日本にももたらされるようになったというわけだ。

創刊号の表紙

創刊号の表紙にはタンクを背負ったダイバーが写っているのだが、その装備を見ると、半袖のウエットスーツに一眼レンズのマスク、スノーケル、レギュレーター、フィン、そして計器(現在なら残圧計や水深計がある場所にあるのだが、写真からは判別できない)、右手にナイフ、左手に水中カメラを持っている。
そこにBCはない。

そして、ページをめくると望月昇さんが潜っているのだが、フィリピンを潜っているとあって、Tシャツ、短パンに、一眼レンズのマスク、レギュレーター、スノーケル、フィン、時計を装着しており、BCの代わりにベルトでタンクを背負っている(ハーネスと当時呼ばれていたものだと思われる)。タンクから残圧計や水深計は出ていない。
ほかのページのほかのダイバーに至ってはダブルホースのレギュレーターを使っている! でも残圧計などの計器やBCはない。

そう。この時代、BCと残圧計、水深計はなかったのだ。

タンクは当時「ボンベ」と呼ばれていて、エアがなくなりかけると余剰空気を供給する「Jバルブ」と呼ばれるタイプ(現在、一般的に使用されているタンクは「Kバルブ」という)を使っていたという。

セーフティベスト登場!

ただ、創刊号をめくっていくと、「新製品ガイド」のページに、日本クレッシーサブ(当時)から「セイフティベスト」という新商品が紹介されている。
いわゆるライフジャケットなのだが、口から空気を入れられる給気ホースやポケットまで付いている。BCの前身が登場したのがこの時代というわけだ。
ちなみに、創刊号に掲載されているダイビング器材メーカー(ブランド)を拾ってみると……
・アクアラング
・鬼怒川パシフィック(現在でいうGULL、AQA、COCOLOA)
・田畑ゴム株式会社(現TUSA)
・クレッシーサブ
・マレス
・日本ダイビングスポーツ(現NDS)
・東亜潜水機
と、現在も人気のダイビング器材メーカーが既に登場していたことがわかる。

創刊号に掲載されている「新製品ガイド」のページ。右下にセーフティベストが登場している

二眼式マスク登場

創刊5号(1970年秋号)で目を引くのが「新製品ガイド」のページにある、2眼式のマスク。 クレッシィサブの「リンチェ」という商品だ。
それまでは子どもの頃に皆さんも使ったであろう、一眼式の楕円形のマスクが主流だったのだが(今でもそのタイプを好んで利用する水中写真家やダイビングガイドさんはいるけれど)、内容積を小さくして、二眼式にした商品は世界初だったはず。

創刊5号に掲載されている二眼式マスク「リンチェ」(モノクロページ)

その後、創刊8号(1971年春号)でイタリアンブランド、マレスの「ニューベドマスク」をはじめとする二眼式マスクが登場し、同年、メイドインジャパンの二眼式マスクで、その後もマスクといえば「マンティス」と呼ばれるぐらいの超ベストセラーとなる画期的なマスクが鬼怒川から登場した。

1973年2月号(通巻18号)の表紙には、現GULLのマンティスを付けたダイバーが登場 (ちなみに、レギュレーターはダブルホース)

徐々にではあるが、二眼式マスクはレジャーダイバーの間に浸透し、1978年にはほとんどのブランドが二眼式マスクを製造販売。この時代、ダイビングのマスクといえば、二眼式というのがスタンダードになりつつあったようである。

1973年、バランシングベスト登場

1973年10月号(通巻22号)の新製品コーナーにスキューバプロの「バランシングベスト」が紹介されている。
それまでのセーフティベスト(ライフジャケット式)のものと異なり、蛇腹式のホースが付いていてタンクに中圧ホースを接続することができるようになっている。インフレーターホースの前身という感じだろうか。排気はベスト本体からするような感じ。
1977年11月号(通巻57号)では「BC(バランシングベスト)時代!」というタイトルの特集が。前掛け式BC全盛となっていったのだった。

『マリンダイビング』1973年10月号の新製品紹介コーナーに掲載されたスキューバプロの「バランシングベスト」(モノクロで掲載)。いわゆる「前掛け式」と呼ばれていたBCの先駆者的存在となった

1975年頃には残圧計は広まっていた

過去の『マリンダイビング』を調べていくと、掲載しきれなかったニュースやトピックスもたくさんあったようで、創刊当時はなかった残圧計が1975年頃の号には普通に使われていることがわかる。
ものすごーく画期的なことだったはずなのに、その部分が空白・・・。
とはいえ、中性浮力をとるためのBCの前世代のバランシングベストも登場し、残圧計もでき、ダイビング器材の進化でダイビングがより安全なものとなっていった様子が手に取るようにわかる。
また、1976年2月号にはオクトパスも登場していることが掲載されている。エア切れになっても、自分のレギュレーターのセカンドステージが壊れても、予備のオクトパスがある……という心強さは、安全面で非常に大きな躍進になったのではないだろうか。

1980年代
ダイビング器材の高度成長期

1980年、ジャケット型BC誕生

そして、1980年に入り、スキューバプロからジャケット型のBC「スタビ」ことスタビライジングジャケットが登場。これをきっかけにBCはジャケットタイプのもの、さらに1980年代後半にはショルダーベルトタイプのものが生まれ、手軽に中性浮力がとれるようになる。
以前は脚力と呼吸のトリミングで中性浮力を保たなければならなかったのに、BCの給排気で中性浮力がとれるようになったわけで、脚力のない女性でもシニアでもダイビングが楽しめ、また浮力が確保できるので、泳げない人でもやろうと思えばダイビングができるようになったというわけだ。
BCはダイビング界の一大エポックメイキングとなった器材といえる。

そういう意味でも1980年代は、現代レジャーダイビングの幕開けとなったといえる。

1981年12月号では各メーカーから出てきたジャケット型のBCを特集

アルミタンク日本上陸!

スタビの登場と同じくして、1980年9月号(通巻91号)では、アルミタンクが日本に初上陸したことがニュースとして取り上げられた。
今ではタンクはスチール製とアルミ製の2種類があることは知られているが、日本にはそれまでスチール製しかなかったのだ。
スチールに比べて軽くて錆びにくく、成型もラクなので、ブーツを履かせなくても地面に普通に置いておけるということで、その後、アルミタンクの需要は高まった。
ただし、スチールに比べてメンテナンスの頻度が多く必要なことから、日本ではいまだにスチールタンクを利用している業者のほうが多い。

BCのインフレーターも大進化!

1980年9月号ではさらにスキューバプロの「AIR-Ⅱ」が日本に上陸したことを伝えている。その前年の7月号で『マリンダイビング』ではアメリカで開催されている世界最大級のダイビングショー、DEMAショーをレポートしているのだが、そこで「AIR-Ⅱ」というすごい商品を発見したとある。
というのも、この商品、インフレーターの代わりにBCに付ける商品で、オクトパスと代用できるものなのだ。現在でもこれを利用しているダイバーは少なくない。

1984年、ついにダイブコンピュータ登場!

今でこそ当たり前にあるダイブコンピュータだが、ちょっと古くからダイビングをしている人たちにとっては、ダイブコンピュータは、非常に斬新で賢いダイビングイクイップメントであった。一方で、ダイブテーブルを元にすれば減圧症を予防できるのだから、デジタル商品を水中に持っていく必要はないとか、値段が高く、サイズも大きく、コストパフォーマンスが悪いということで、最初は日本でもあまり浸透しなかったのも事実。

本誌が1984年4月号のDEMAレポートで紹介したダイブコンピュータ「オルカ」だが、その前身、「エッジ」という“弁当箱”とも呼ばれる大型ダイブコンピュータが改良された小型タイプのもの。それでも、現在のダイブコンピュータよりかなり大きかく、日本ではあまりはやらなかった。

1984年1月にアメリカで開催されたDEMAショーをレポートしていただいたもの。 ダイブコンピュータ「オルカ」の参考出展が

ダイビング器材のブランドネーム誕生

世の中で田中康夫著の『なんとなくクリスタル』が大ブームになっていた頃、ダイビング界でもブランド名を確立していこうという動きが盛んになっていた。
もともと「アクアラング」は、フランスの有名な冒険家・ジャック・イヴ・クストーらが開発をしたときから使われていたブランド名。昔はダイビング器材全般を「アクアラング」と呼ぶ人も多かったほど。
世界にはほかに「スキューバプロ」「クレッシィ(サブ)」「ブッシャー」といったダイビングブランドがあるが、それに負けない、メイドインジャパンのものを作ろうと各社がしのぎを削ったわけだ。

例えば1983年にはGULL(現在、株式会社鬼怒川のブランドとして有名)が誕生し、1985年にはTUSAが現在の株式会社タバタから誕生した。

プラスチックフィンの世界台頭

フィン(足ひれ)は、昔からゴム製のラバーフィンがずっと世界的にも優勢だったのだが、1980年代に入ってプラスチックの品質を改良した製品が続々登場。
ゴムに比べてカラーリングが豊富にでき、形成もラクにできるため、幅も長さも形もさまざま、女性好みのピンクや赤やクリアといった、ゴムフィンではなかなか発色しにくい製品を次々と発表していった。
中でも世界中のダイバーを魅了したのはマレスの「プラナアバンティ」ではないだろうか。
世界初テクラレン樹脂を使用している商品ということで、1986年にはグッドデザイン賞も受賞している。

写真は1989年10月号(通巻200号)から切り取ったダイバーだが、海外ではどこへ行っても皆さん、プラフィン(プラスチックフィン)を履いていたものだ

小型化でダイブコンピュータが一斉に広まる

開発された当初は大きかったダイブコンピュータだが、世の中のデジタル化が進むにつれ、ダイブコンピュータも小型化、軽量化が進み、値段もよりリーズナブルな製品が続々登場。一般のレジャーダイバーも携帯しやすく、ログ機能も付いてとても便利! と、一気に広まった。

1988年11月号(通巻189号)では、初めてのダイブコンピュータ特集を掲載し、注目を集めた。
その後もダイブコンピュータは日々進歩し、今や一人一台が必須となっている。

『マリンダイビング』が初めて掲載したダイブコンピュータ特集(1988年11月号)

軽量コンパクト化が始まる

重厚かつアメリカンサイズともいわれる大きなものが尊重された高度成長期が終わり、1980年代に入ると世の中ではより軽く、より薄く、より短く、より小さくといった「軽薄短小」を尊重する傾向が深まってきた。
重くて大きなダイビング器材もいかに軽く、コンパクトにするかがメーカーの大きな使命に。
1987年10月号(通巻176号)に“軽くておしゃれなレギュレーター”とうたった「リブレーター」がTUSAから登場する。
ファーストステージやセカンドステージのみならず、マウスピースも小型化。女性ダイバーの熱い視線を大いに浴びることとなる。
この後、ダイビング器材の軽量コンパクト化が加速化していくことになった。

モノクロ記事ではあったけれど、軽量コンパクト化したレギュレーターを紹介

1990年代
ダイビング器材 安定期

バブル時代が続いた!? ダイビング器材

1989年にダイビングがテーマとなった映画『彼女が水着にきがえたら』が公開されると、ダイビング人口が一気に増えた。
映画では原田知世さんが真っ白なウエットスーツやダイビング器材を着用していたこともあり、白いウエットスーツやBCもどんどん売れた時代。
それとともにショッキングピンクやパープル、ネオングリーン、ネオンイエローなどカラフルなウエットスーツや器材も登場し、日本の海辺もとてもカラフルになった。

1994年5月号(通巻255号)の付録「’94ダイビングギア1000の情報」に掲載した各メーカーのウエットスーツ。カラフルである

さまざまなダイビングギア&グッズが登場

1990年代には、「グランブルー・フィーノ」という、セミクローズドサーキットのダイビング器材が登場したり(1994年。その後、販売中止になってしまったが)、小さなタンクを口にくわえるだけで水中を旅できる器材「ブーメラン」や「VIVAX」「AIRFIN」などが輸入されるなど、ダイビング周辺のグッズが多く登場した。ボートに載せたタンクからエアホースの先端に浸けられたセカンドステージを加えて遊べる「スヌーバ」が登場したのもこの時期。
世の中からちょっと遅れてやってきた、バブリーな時期だったのかもしれない。

2000年代
デジタル&テクニカル時代に突入

ウオッチ型ダイビングコンピュータ全盛

1990年代から小型化してきたダイブコンピュータだが、2大ダイブコンピュータブランド、UWATEC(ウワテック)やSUUNTO(スント)が競ってウオッチ型のダイブコンピュータを開発。続いて既存のメーカーからも続々登場するようになった。
今では当たり前のウオッチ型ダイブコンピュータだが、歴史は決して長くはないのだ。
それでいて、機能は充実。減圧症のリスクを軽減するために、1990年代後半ごろから推奨され始めたエンリッチド・エア・ナイトロックスやテクニカルダイビングの混合ガスのモードを搭載したバージョンも次々と発売されている。

2010年代にはソーラータイプのダイブコンピュータが!

ダイブコンピュータの進化はまだまだ続き、2010年代に入って、バッテリー切れの心配がない、ソーラーバッテリー型のダイブコンピュータも登場。
減圧症のリスクをより軽減するためのアルゴリズムを搭載したタイプのものも多く、たくさんのダイバーの支持を得ている。

TUSAから出ているDC Solar LINK IQ1204
ソーラーバッテリーで半永久的に使えるといううれしい機能に加え、Bluetooth Smartでスマホにログデータを簡単に転送できるスグレモノ。減圧症のリスクをより軽減するTUSA独自のM値警告を搭載するなど、さまざまな利点を持つダイブコンピュータ

世界的にテックダイビングが進化

通常の空気を利用するダイビングが一般的だが、日本でもエンリッチド・エア・ナイトロックスが普及し始めたように、深度やダイビングスタイルによって、混合ガスを利用するテクニカルダイビング(いわゆるテックダイビング)も世界で広まりつつある。
タンクを2本、3本と使い、ケーブを潜るのに有効はサイドマウントスタイルでのダイビングや、通常のオープンサーキットのスクーバシステムとは違った、セミクローズドサーキットシステム、クローズドサーキットシステムといったシステムを利用してのダイビングも盛んになりつつある。

21世紀に入り、いろいろなスタイルで、自分好みのダイビングを楽しめる時代に突入したのである。

ユーザーのニーズに特化した製品が続々

21世紀に入って、レジャーダイビングのシーンでみると、器材の大きな進歩はない。でも、女性に向けたよりフィット感のすぐれたデザインのBCが開発されたり、フォト派向けのバックマウントスタイルのBCが多く商品化されたり、より柔らかな中圧ホースが出たり、安全のための長い中圧ホースが出たりと、細かいところでの改良型器材が多く発売されている。

ウエットスーツやドライスーツの素材だけ見ても、筆者がダイビングを始めた1980年代頃とは格段の差がある。ウエットスーツなどはとても着にくいものだったが、スーパーストレッチ素材のスーツなど、めっちゃくちゃ着やすくなっている。

自分の身を守るためにもダイビング器材は自分のものを持つべきだが、新しく、性能の素晴らしい器材を買い替えていくことも、安全で快適なダイビングを実現させる手段なのだと思う。

以上、駆け足で紹介してきたが、『マリンダイビング』は毎月10日発売。
これからも時代に即した、新しい情報を掲載していきますので、ぜひお楽しみに!!

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